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주일말씀 |
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작성일 : 14-12-18 23:23
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2014년 12월7일 마흔아홉번째 주일말씀(강림절둘째주)
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글쓴이 :
동경만나교…
 조회 : 4,525  추천 : 0
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(송병찬목사님 설교입니다.)
聖 書:ハバクク書3章16~19節
題 目:神の中で喜びます
神は憐み深い御方であり、私たちの救い主であります。神の聖霊が私たちの中に宿っているなら、キリストの者です。(ローマ8:9) そして、神に中で喜びなさいと記されています。聖書は下記のように教えてくださいます。
主のみ言葉に聞き従う
神は変わらない愛をもって私たちが神に従うことを求めます。聖書ではサウル王はサムエル記Ⅰ15章で神様はサムエルを通してアマレクをすべて滅ぼすことを命じましたが、神の命じることに反し、羊・牛・人々を捕虜として連れて帰ってきたのです。理由としては神にささげるため、ぶんどりものだと説明したが、「主のみ言葉に聞き従うことを喜ばれる22節」と記されています。
聖霊のとりなし祈り
聖霊は、信じる者を神の子どもとし、救いの保証人になり。さらに、信じる者の心を神に向け、神への祈りに導いてくださいます。神に祈ることを教えてくださるお方です。信仰者を祈りに導き、その祈りを助け、支えてくださるお方です。聖霊をいただいている私たちは、聖霊のとりなしを信じ、それに励まされ、さらに祈り続け、祈りの中で聖霊を体験していこうではありませんか。また、神の聖霊は聖徒のために神の御旨にかなうとりなしをして下さいます。
(27節:御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
28節:人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。ローマ8:23-27)
信仰によって生きる
本書の中では私たちに「信仰によって生きる2:4」ことは信仰者にとって一番大事なことだと記されています。また、その信仰は聖書の旧/新約に記録されていた神様の恵み、祝福、感謝、喜び、礼拝であります。
ヨブの信仰告白
ヨブは神様を畏敬する人、聖書には、ヨブを指して「この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。」(ヨブ記1:1)と記録されています。即ち、ヨブは聖なる神様の前で悪から遠ざかっており、神様を恐れ、神様に恥ずかしくないようにいつも潔白で正しく生きた人でありました。ヨブは神様を恐れた人でありましたので、患難の中でも神様に罪を犯さず、主の御名をほめたたえました。どんな試練があっても信仰を守る人でした。
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。ヨブ1:21」
本書のハバクク書を見ましょう。
バビロンの捕虜、また試練がユダにあることを神は明かされ、ハバククはユダの悔い改め、救いの祈りとバビロンの徹底的な裁きを明らかにされるのを神に祈り、必ずかなわれることを信じて喜びました。そしてハバクク書は、私たちの信仰の要になる御言葉を私たちに与えられます。「正しい人はその信仰によって生きる(2:4)」です。イエス・キリストの福音がユダヤ人だけでなく異邦人にも与えられている啓示を受けた使徒パウロは、この御言葉をローマ書、ガラテヤ書、そしてヘブル書において引用しています。したがって、この御言葉の背景であるハバクク書の「信じる」とは「主にあって喜ぶ」ことです。「17節:いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。」
「主にあって喜び」は信仰者の大いなる特権です。とてつもない苦しい状況の中にいながらにして、喜ぶことのできる力が与えられることです。キリストが私たちの中にともにおられるからこそ、私は喜びます。世の中の試練があっても苦しいときあっても、悲しい出来ことがあっても主にあって喜びませんか!その試練を乗り越えるものは、必ず幸があり、喜びがあります。主が与えてくださる救いの中で喜びです。
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