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작성일 : 13-11-19 09:11
2013년 11월17일 마흔여섯번째주일 [추수감사주일예배] 말씀:송병찬목사
 글쓴이 : 동경만나교…
조회 : 16,793   추천 : 0  
日付:2013年11月16日
題目:主にいつも感謝しなさい
聖書:テサロニケ5:15-20
説教者:宋 炳讃


私たちは果たして日々の生活の中で、「いつも感謝」をしているでしょうか?
神様は「いつも感謝しなさい」と求め、守るものは主の愛と恵みをくださいます。そして、私たちに日々生活に適用するよう要求されています。
聖書の中から見てみましょう。神様に感謝するという言葉はたくさん記されています。旧約聖書の詩編、ダビデ詩の中には試練の中で、最も偉大な信仰者としての感謝の御言葉が記されてあり、特に詩篇92編には、主をほめたたえる歌を、十弦の琴に合わせて、歌い、賛美することが、主に感謝を捧げることであり、同時に、主のまことを述べ伝えることです。それが、いかに心からの喜ぶことなのかを教えています。日々人が経験したことがない永遠な命を授けられ、日々感謝の喜びに変えてくださいます。
また、新約聖書ではテモテへの手紙には、「神さまがお造り下さったものはすべて良いものである」、という、創造主に感謝を捧げ、喜びの感謝を受けることによって毎日祈りの言葉になっていきます。感謝することは人生そのもので、私たちに大きな信仰の原動力になります。いつも感謝をしましょう。

それでは、本日の本文、神の御言葉において皆様と恵みを分かち合いましょう。
聖書での感謝という言葉を二つに分けて考えてみました。まず、一つの感謝は一般的「ありがとう」と「ごめんなさい」と意味があります。これは元々別個の感情や行為を表し、特に、多大な恩恵を受けた時、もしくは自分に対して何の義務も責任もないのによくしてもらった、そんな時、「すみません」と「ありがとう」は共存しています。神様にあいて私たちの心の表現であります。
もう一つの感謝は主にある礼拝であり、捨てて主に従う、悔改め祈りである。信仰者にとってとても重要なものだし、自分の所有物にならなければならないことです。それは神様が私たちに毎日望むものであります。(テサロニケ5:18「いつも感謝しなさい」) 
1. 感謝は礼拝です。
① 礼拝はいつも御霊とまことに礼拝することです。(ローマ12:1)
神様は人を愛のしるしとして祭壇にいけにえを捧げ、和解方法を教えてくださり、いつも神様と交わりの礼拝をもとめています。礼拝はとても大事なことであり、私たちに命そのものです。キリストの名によって贖い、赦し、命、和解、つつむ…等豊かな感謝のしるしです。
② 感謝は和解の礼拝をつくろう。(マタイ5:23-24)
私たちは礼拝こそ最も大切です。また、礼拝と同じくらい和解(互いに赦し合い)も大切だということを言っているのです。なぜなら、和解(互いに赦し合い)こそ福音の中心でもあります。それはきよめに一つであるからです。私たちは礼拝の前には必ず自分の罪赦しの祈りをします。主の祈りのように兄弟、また隣人を互いに赦しあった上に礼拝をしましょう。そこには感謝があり、喜び、恵みがあります。
③ 従順の祭壇をつくろう(創22:1-9)
神様はアブラハムにあなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしと命じました。アブラハムは神の命令に従い、ひとり子イサクをいけにえとしてささげたのです。その出来事後、信仰によって父なる神と呼ばれるようになりました。(へブル11:17-19) 私たちは日々主に御守られ、キリストの名によって御前に立ち続けると、キリストによって救いと復活の恵みを約束し、私たちに感謝の喜びをが豊かに注いてくださるからです。
  
2. 捨てることは主の恵みと感謝のもとになる
① キリストと福音のために捨て従うものはこの世での祝福と迫害は伴うが、天国で 
永遠の命を受けます。(マタイ10:28-31)
キリストは十字架の贖いの犠牲の愛、いばらの道を選択しました。自分の身を捨て、万民に救いを与えてくださいました。誰もができる道ではないです。キリストさえも苦しみの心をケッセマネ丘での祈りを通して表しました。しかし、主のもこころにゆだねて神の計画に従順したのです。(マルコ14:36)
キリストの想像を絶する十字架の苦しみは,血を流す犠牲の福音、救いの完成です。主はわたしたちにも自分の使命の犠牲を求めておられます。主が命じる犠牲は自分自身を捨て互いに愛し合い、主に従うことです。    
② パウロはキリスト教徒迫害の先頭を走っていたのですが、ダマスコに行く途中、突然の「復活のキリスト」との出会い、自らを「罪人のかしら」と呼ぶほどに明瞭な罪意識を生じさせたと同時に、罪の責任を完全に葬り去るほどに自分の「罪の赦し」を確信しました。深い罪の認識と罪の赦しの揺るがない確信ということです。(使徒9:3-5) その後、宣教者としてキリストの福音の為、パウロは自分身分(ビリピ3:5-8)を捨て自分の人生すべてを神に捧げました。
また、パウロとシラスは宣教中に捕まえて投獄されました。牢獄中、真夜中ごろ、賛美の歌をうたって神に祈りをほかの囚人たちはこれに聞き入っていました。突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いて、たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまいました。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けました。この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜びました。一人が身分や自分の人生の持ち物をすて神にささげることで多くの人が救われ、そこには感謝が豊かに溢れています。

3. 悔改めと感謝
ペテロがイエスを三度否認(ルカ22:54-62)。誰よりもキリストの一番弟子と思い、必ず信仰を守りきれる自信家でした。しかし、自分の命の前では情けない信仰の弱さとイエスキリストを裏切るしかできなかった行動に大きく後悔と悔やみきれない罪を犯してしまいました。しかし、彼は心を痛めながら悔改め祈りした後、ペテロは聖霊充満になり、一番弟子として宣教師として死ぬまで主に使命を捧げました。それは彼が一番弟子だからではなく、直ぐに悔改め祈りをしたからです。
然し、聖書はもう一人のユダどうなったでしょうか?彼はキリストを銀貨30枚で売り、また裏切行為で非常に心が痛みと後悔しましたが、彼は悔改めの祈りをしたと御言葉ありませんでした。深く後悔をしたが、彼が選択した道は自分が命を絶つという最悪の道でした。もし、彼が悔改め祈りをしたならどうなったでしょうか!
二人は確かにキリストに対する裏切という大きな過ちをしました。最終の道はあまりも違いが大きいがありました。悔改め祈りによって赦しと救いがあります。ペテロは試練の道でも勇ましく堂々に歩みましたが、ユダはキリストにたいする裏切に後悔したが自分の命を絶つ道を選択しました。私たちも罪を誰でもあります。罪をおかしたら必ず悔改め祈りをし、神が与えてくださった使命を従う人になりましょう。そこに感謝があります。

4.まとめ
神様は感謝をもとめます。なぜならば、信仰者の人生そのものだからです。いつも感謝の礼拝を捧げ、自分の高慢な心をすて神の使命を全うし、キリストの命令に従い、常に祈りを持って信仰者として感謝の心を持ちましょう。また、信仰者人生は感謝を忘れてはならないことです。今、毎日生活中試練があっても祈りを持って乗越える信仰者になること、毎日喜びをいただいている恵みに感謝、そしてこれからお迎える人生の道ことを主にあって感謝すれば、私たちは祝福され、真に幸福あります。
神様の約束であります。

 
   
 


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